筑豊の障子ケ岳を訪ねて(2005/01/07) |
(上記の12時13分〜12時54分の間に昼食タイムが約30分あります)
障子ケ岳の山頂にあった障子ケ岳城は、戦略上の要衝の地であるため、この城を巡って幾度か攻防が繰り返された。 この城址は、牙城跡とも呼ばれ、中世の山城の姿を極めて良く残している。 1336年足利尊氏の命によって、足利駿河守統氏の築城と言われて、その後度重なる戦乱で城主はかわり、1586年豊臣秀吉の九州平定に伴い、黒田孝高の軍に落とされた。 この山城には豊臣秀吉も入城したと言われ、1615年頃徳川家康の一国一城令によって、廃城となったとされている。 今回の山行は、右膝に不安があるため、最初に味見峠に車を1台デポして上野登山口に別の車で向かいました。 上野登山口から障子ケ岳に登り、味見峠へと歩き、デポした車で上野登山口に戻り車を回収ししました。 お陰で、何とか歩けました。(^^♪(参考高度表と概念図はこちらをご覧下さい) このコースは秋から春にかけてが、山歩きに良い季節と思われ、桜の季節は花見をかねて出かけると良いのではと思いました。 |