第3日目(11月 4日) 前日一つ手前の小屋横で、宿営したため、5時半には出発予定であったが、矢来の風雪、そして小雨の残る中のテント撤収他に手間取り40分程出発が遅れた。 雨を吸い重くなったテントを背負って歩いたが、随分重くなって肩が痛かった。 縄文杉からペースアップ。楠川分かれから一段とペースアップ。辻峠迄、更にペースアップし標準コースタイムを10分程短縮し40分で到着した。 何とか白谷雲水峡に手配したタクシーの時間に間に合った。 直ちにタクシーに分乗し楠川温泉に直行し入浴、3日間の汗を落とす。 |
下山途中の一行 |
所々には雪が残っている中を下山した。 |
高塚小屋 ちょっと斜面がかった森の中にある。 総コンクリートブロックの頑丈な造り。収容人数20名(ちょっと狭い)。トイレ付き。 標高1330mの鞍部に建てられていて、縄文杉まで下り10分。 |
見事なヒメシャラの森が広がっていた 夫婦杉 左の妻− 胸高囲5.8m・樹高25.5m・樹齢約1500年。 右の夫− 胸高囲10.9m・樹高22.9m・樹齢約2000年。 標高約1190m、大王杉から2〜3分登った所に生えている。10m程上部の枝が繋がって、仲良くつないだ手に見えるのが名前の由来。 ウイルソン株 大正3年、アメリカの植物学者アーネスト・ウイルソン博士によって世界に紹介された。中は畳10枚位は敷ける空洞からなり、洞内には大株神社が祀ってある。 天象4年(1586)豊臣秀吉は京都方広寺大仏殿建立に当たって材木の献上を諸国の大名に命じた。島津藩は屋久杉を献上するにあたり楠川の牧五郎七以下7人がやぐらを組んで斧で切り倒したと伝えられている。その切り株、切り屑は今尚腐敗することなく周囲に散らばっている。 約3000年、根回り32m、胸高囲13m |
縄文杉 縄文杉は、昭和41年に広く知られるようになり、この幹の様子から「縄文杉」と名付けられました。確認されているの日本の杉としては一番太いものです。 樹齢はその大きさによる7200年との説や、内側の空洞から採取した木片の科学的計測値での2170年など、色々な説があります。 樹高25.3m、胸高周囲16.4m(直径5.1m)、この付近の標高1300m。 登山者の踏みつけにより根が傷むことがないように、平成8年展望デッキが建てられた。また、踏み固められた土を戻すための土壌改良などの対策が行われている。 |
大王杉 胸高囲12m・根回り42m・樹高24.7m・樹齢約3500年。大株歩道の中間、標高約1190mに生えている。縄文杉が再発見される迄は、屋久島最大の杉とされ「大王杉」と命名された。 |
翁杉 胸高囲12.6m・樹高23.7m・樹齢約2000年。 大株歩道を登りはじめると25分程で、初めに出会う巨木。 コケ類と着生木に覆われている。 |
三代杉 初代樹齢(推定)2000年、二代1000年、 3代500年、根回り5m、胸高囲2.5m |
トロッコ軌道敷き |
辻峠 |
雨に濡れた苔が神秘的 辻峠からの下りの原生林歩道の途中あたりで、一面びっしり苔に覆われている素晴らしい景色が見られた。 |
白谷雲水峡くぐり杉 自然観察林の中のにハイキングコースが設定されている。白谷の渓谷美と屋久杉をはじめとする巨木の原生林が堪能できるようになっている。 |
7本杉 上部で七本の枝が広がっているのが名前の由来 |
白谷雲水峡に架かる吊り橋 |
飛流おとし 雨樋のような溝を勢い良く流れ落ちる斜滝 |
楠川温泉 |
安房港 |
無事下山を祝し乾杯(ヤッピーさん撮影) |
世界遺産の島を後にする |
3日間とも、強風・雨・あられ・雪・ひょう、と荒れた天候で、時たまの"晴れ"以外は何でもアリ!の天候でした。当然のことながら展望はほとんど得られない、そして0〜5℃という気温下での厳しい山行となりましたが、参加メンバー全員の協力で、白谷広場へ無事に下山できました。 ご参加いただきましたメンバーの皆さんお疲れ様でした。そして大変お世話になりました。楽しい3日間でした。 |